旅に出る

4日 木曜日
レースも無いし 旅に出たくなり バイシクルクラブの山口さんにメッセージして
電話して 酷道の旅の撮影へ

1人で撮影しながら 旅をする

成田さんちまで 一日で辿りつけるかが微妙な所だ

旅は良い 疲れたら 自転車に乗って旅をするのが良い
またトレーニングしたくなるから

道が通行止めになっていないかの確認作業をしていた

自分の過去のブログを見直していた

相変わらず 誤字脱字が多いが 流れで読めてしまうから 楽しかった

自転車の事ばかりでなくて 5年の月日が 自分の人生ブログのようであり

自画自賛だが 読んでいて楽しいブログだと思った。

5年後に見直した時に 44歳の元旦が良いスタートと思えるだろうか。

30歳で松本から名古屋に戻ってきた時に 35歳で自転車乗っている事は想像出来なかった

35歳で40歳の時に自転車乗っている姿は想像できなかった

40歳の時は 50歳でも自転車乗っているんだろうなぁと 思っていた

55歳で 世界チャンピオンになっているだろうなぁと思う

60歳になっても自転車乗って まだトレーニングしているんだろうぁと思う

明日から また自転車乗って 自分と向き合ってきます

こういう時に書く 酷道の旅は 色々と考えていて それを記事にするから 面白いと思います。

自転車で走って 撮影して記事を書いて お金を頂く

やりたかった事をして それが仕事になっている事が 幸せだと思った


16時からローラー教室

18時からローラー教室

20時からローラー教室

終わってから 装備の見直ししていた

不甲斐なさ

6月26日 水曜日
富士スピードウェイへ移動して ライセンスコントロールに監督会議に出席し 試走へ

頭痛がするが 風邪でも引いたか?

明日が雨予報だけど今日は晴天

サーキットは雨が降るとオイルが染み出てくる

2周回走って 終わり

宿へ移動

ご飯が酷すぎた
全てが油で揚げてある

部屋も鍵もないし 猫の小便に匂いが満載でたまらなく 4泊の予定だったけれど
宿を変える事にした

27日

9時にコースへ移動して ピットで場所どりをして 少し寝た

3時間前から準備するが 空腹で走るように 4時間前にはご飯を食べた

13キロを3周回

雨が強くなり イナーメオイル CXを塗ってから レインジェルを体中に

中畑監督に イナーメオイルの小嶋さんが 付き添ってくれた
何となくこの二人がいつもそばに居てくれる気がした

1周回目は20分ほどで 290Wを維持していたが ぱったりと脚が停まり
2周回目は 応援してくれた方に お礼を言いながら
3周回目は またお礼を言いながら走った
トップから9分半遅れ

何も悔いはない

何とかなると思っていたが 何ともならなかった。

28日 金曜日

宿を変えて正解だった

ジュニアのレースを見に自走へ

色々なイベントを開催していたので 森本さんと参加

29日土曜日
朝飯を食べて 寝た

ローラー10分ほど乗って ストレッチを入念にして コースへ

ライセンスコントロールと監督会議に出たら
広美さんが2位と知り おめでとうを言いに行った

広美さんを見て 声を掛けたら なんだが泣けてきた

広美さんに2位おめでとうではなく 自分への虚しさからか 泣いてしまった

涙が止まらなかった
自分の老いを受け入れてしまった。

広美さんは 僕がTTに出る事で 自分も頑張らないとと思ったらしい。

たとえ どれだけWが掛かっていても 突っ込めない事や 何か 頭の線がプッツり切れないな事が多くて

それを一言で言えば 「老い」なんだろう

それを ここで走る事で 「まだやれるだろうと言う自分への期待感が崩れ去り 不甲斐なさだけが残った」

30日 日曜日

朝はおかゆにしてもらった

コースを1周回して レインジェルを塗りたくってスタート地点へ

1周回目で ビビッてしまい 後方へ下がり 上りで置いて行かれて 2周回目で 後ろから伊織君が来て
一緒に脚きりで終わり

危険と言われているコースで 生き残りまだ走っている選手もいる
僕はモニターでレースを見る側になる

伊織君は 「何も出来なかったぁ」と言うが 「何かしようとしていたのか?」と聞いたが

「下りが 位置がとか」 いつものように言い訳が始まったので

まだ走っている選手が居るなかで 千切れた訳だから 自分の弱さを認めた方が良いし
言い訳を言う方がかっこ悪いと。

自分は弱かった事を認めないと 次が始まらない

しょうこさんは 自分で選手名簿を作ってきていた

エイヤは楽しそうに走っていた

レースは終盤に3人の逃げ

幸也が 横塚の前からスピードを上げて 差が出来る
入部が横塚の後ろに居る時にスピードを上げた気がした

少しでも差が出来るようにという考えかな。

こうなったら 幸也はプロツアーレーサーの意地で引く
入部は勝ちにこだわる

これもレースだし 見ていて楽しかった

何が楽しくてここに来たのか?

来た分かった事も沢山あった

来て良かった事も沢山あった

過去の事はすべて忘れよう

今から出来る事を考えて 前を向いて走っていこうと思った

1日 月曜日

タイヤ貼りの仕事
タイヤは再度貼り付けで

リムセメントでベースを作る


5回 塗って


タイヤにも2回塗って


しっかり貼り付けました

工賃 1本 3000円です

ローラー20分

2日 火曜日
何もしたくなくぼけ~っとしていた


18時からローラー教室

20時からローラー教室


走りに行った

半島で また走ります よろしくお願いしますと言ってから走った

前から 俊介
1周回してから 一言言いたくて 会うだろうなぁと思って 見えてから Uターンして 俊介の後ろへ

付いたら 俊介が「後2分です!」と言うので 号令をした

終わってから 全日本で分かった事は 「若さはお金で買えない」と言う事だ

今 やり切ったと思っても まだやれる

若いうちに体力勝負な事はやっておけよと 言って別れた

80キロ
走ったら またトレーニングしたくなった

帰宅して三島さんとご飯

帰りに 米を買った

帰宅して シクロクロスマシンを整備した


サンボルトの防水財布を入荷しました

358TVさんで 防水財布を500個募集しましたが 今で15個の注文のみです

そんなに待てないから 普通の防水財布にサインしてくれればいいと言われたので
6個入荷して サインして購入してくださいました

18時からローラー教室

20時からローラー教室

ローラー教室に来てくれている若い生徒さんには とにかく若いうちに体力勝負の事はしておくようにと
口酸っぱく言いました。

TT前日に柿木さんに 44歳になって強くなる方法はありますか?と聞きました

その年までやったことがないから分からないけれど

筧君が その年でまだやっているのなら 自分でWトレーニングのバイブルを作ればいいんじゃないの?と

「商機」が見えました

それをやる為に まだトレーニングする意味がある事だし

実際にやってみて 当てハマる事があるしね

55歳越えたら シクロクロスのマスターズで世界チャンピオン

2021年のマスターズゲームで 世界チャンピオン

遠回りしたけれど もう迷いなく 進めるわ(笑)

これからも 色々とよろしくお願いいたします。