9日火曜日
朝5時起きて 1時間半のサイクリング
硬い筋肉を解しながら走った
伊織君と一緒に東京へ
チャリダーのスタジオ収録
18時のローラー教室のクラスに帰宅が間に合わず すみませんでした
20時からローラー教室
7月5日金曜日から8日月曜日
旅に出てきました
430キロ 8個の峠を越えてきました
TSSは550ほど
疲労感はありましたが心は充実しましたとさ
色々とありましたが やっぱり自転車は楽しいと思える時間でした
カメラを落としてしまった
レンズも壊れてしまったので ワイドコンバーターというのを買った
広角が超広角になるワイドコンバーター
最終日は 締め切り時間も何もなく 安房峠をのんびりと走りました
フロントブレーキを多用したので どれぐらいディスクの面が減っているのか楽しみでした
1ヶ月ほどでここまで減りました
でもこの旅で減ったのが殆どだと思います。
帰宅したら旅の原稿を書きました
スラーっと書いただけで7000文字ほどでした。
4日 木曜日
レースも無いし 旅に出たくなり バイシクルクラブの山口さんにメッセージして
電話して 酷道の旅の撮影へ
1人で撮影しながら 旅をする
成田さんちまで 一日で辿りつけるかが微妙な所だ
旅は良い 疲れたら 自転車に乗って旅をするのが良い
またトレーニングしたくなるから
道が通行止めになっていないかの確認作業をしていた
自分の過去のブログを見直していた
相変わらず 誤字脱字が多いが 流れで読めてしまうから 楽しかった
自転車の事ばかりでなくて 5年の月日が 自分の人生ブログのようであり
自画自賛だが 読んでいて楽しいブログだと思った。
5年後に見直した時に 44歳の元旦が良いスタートと思えるだろうか。
30歳で松本から名古屋に戻ってきた時に 35歳で自転車乗っている事は想像出来なかった
35歳で40歳の時に自転車乗っている姿は想像できなかった
40歳の時は 50歳でも自転車乗っているんだろうなぁと 思っていた
55歳で 世界チャンピオンになっているだろうなぁと思う
60歳になっても自転車乗って まだトレーニングしているんだろうぁと思う
明日から また自転車乗って 自分と向き合ってきます
こういう時に書く 酷道の旅は 色々と考えていて それを記事にするから 面白いと思います。
自転車で走って 撮影して記事を書いて お金を頂く
やりたかった事をして それが仕事になっている事が 幸せだと思った
16時からローラー教室
18時からローラー教室
20時からローラー教室
終わってから 装備の見直ししていた
6月26日 水曜日
富士スピードウェイへ移動して ライセンスコントロールに監督会議に出席し 試走へ
頭痛がするが 風邪でも引いたか?
明日が雨予報だけど今日は晴天
サーキットは雨が降るとオイルが染み出てくる
2周回走って 終わり
宿へ移動
ご飯が酷すぎた
全てが油で揚げてある
部屋も鍵もないし 猫の小便に匂いが満載でたまらなく 4泊の予定だったけれど
宿を変える事にした
27日
9時にコースへ移動して ピットで場所どりをして 少し寝た
3時間前から準備するが 空腹で走るように 4時間前にはご飯を食べた
13キロを3周回
雨が強くなり イナーメオイル CXを塗ってから レインジェルを体中に
中畑監督に イナーメオイルの小嶋さんが 付き添ってくれた
何となくこの二人がいつもそばに居てくれる気がした
1周回目は20分ほどで 290Wを維持していたが ぱったりと脚が停まり
2周回目は 応援してくれた方に お礼を言いながら
3周回目は またお礼を言いながら走った
トップから9分半遅れ
何も悔いはない
何とかなると思っていたが 何ともならなかった。
28日 金曜日
宿を変えて正解だった
ジュニアのレースを見に自走へ
色々なイベントを開催していたので 森本さんと参加
29日土曜日
朝飯を食べて 寝た
ローラー10分ほど乗って ストレッチを入念にして コースへ
ライセンスコントロールと監督会議に出たら
広美さんが2位と知り おめでとうを言いに行った
広美さんを見て 声を掛けたら なんだが泣けてきた
広美さんに2位おめでとうではなく 自分への虚しさからか 泣いてしまった
涙が止まらなかった
自分の老いを受け入れてしまった。
広美さんは 僕がTTに出る事で 自分も頑張らないとと思ったらしい。
たとえ どれだけWが掛かっていても 突っ込めない事や 何か 頭の線がプッツり切れないな事が多くて
それを一言で言えば 「老い」なんだろう
それを ここで走る事で 「まだやれるだろうと言う自分への期待感が崩れ去り 不甲斐なさだけが残った」
30日 日曜日
朝はおかゆにしてもらった
雨
コースを1周回して レインジェルを塗りたくってスタート地点へ
1周回目で ビビッてしまい 後方へ下がり 上りで置いて行かれて 2周回目で 後ろから伊織君が来て
一緒に脚きりで終わり
危険と言われているコースで 生き残りまだ走っている選手もいる
僕はモニターでレースを見る側になる
伊織君は 「何も出来なかったぁ」と言うが 「何かしようとしていたのか?」と聞いたが
「下りが 位置がとか」 いつものように言い訳が始まったので
まだ走っている選手が居るなかで 千切れた訳だから 自分の弱さを認めた方が良いし
言い訳を言う方がかっこ悪いと。
自分は弱かった事を認めないと 次が始まらない
しょうこさんは 自分で選手名簿を作ってきていた
エイヤは楽しそうに走っていた
レースは終盤に3人の逃げ
幸也が 横塚の前からスピードを上げて 差が出来る
入部が横塚の後ろに居る時にスピードを上げた気がした
少しでも差が出来るようにという考えかな。
こうなったら 幸也はプロツアーレーサーの意地で引く
入部は勝ちにこだわる
これもレースだし 見ていて楽しかった
何が楽しくてここに来たのか?
来た分かった事も沢山あった
来て良かった事も沢山あった
過去の事はすべて忘れよう
今から出来る事を考えて 前を向いて走っていこうと思った
1日 月曜日
タイヤ貼りの仕事
タイヤは再度貼り付けで
リムセメントでベースを作る
5回 塗って
タイヤにも2回塗って
しっかり貼り付けました
工賃 1本 3000円です
ローラー20分
2日 火曜日
何もしたくなくぼけ~っとしていた
18時からローラー教室
20時からローラー教室
走りに行った
半島で また走ります よろしくお願いしますと言ってから走った
前から 俊介
1周回してから 一言言いたくて 会うだろうなぁと思って 見えてから Uターンして 俊介の後ろへ
付いたら 俊介が「後2分です!」と言うので 号令をした
終わってから 全日本で分かった事は 「若さはお金で買えない」と言う事だ
今 やり切ったと思っても まだやれる
若いうちに体力勝負な事はやっておけよと 言って別れた
80キロ
走ったら またトレーニングしたくなった
帰宅して三島さんとご飯
帰りに 米を買った
帰宅して シクロクロスマシンを整備した
サンボルトの防水財布を入荷しました
358TVさんで 防水財布を500個募集しましたが 今で15個の注文のみです
そんなに待てないから 普通の防水財布にサインしてくれればいいと言われたので
6個入荷して サインして購入してくださいました
18時からローラー教室
20時からローラー教室
ローラー教室に来てくれている若い生徒さんには とにかく若いうちに体力勝負の事はしておくようにと
口酸っぱく言いました。
TT前日に柿木さんに 44歳になって強くなる方法はありますか?と聞きました
その年までやったことがないから分からないけれど
筧君が その年でまだやっているのなら 自分でWトレーニングのバイブルを作ればいいんじゃないの?と
「商機」が見えました
それをやる為に まだトレーニングする意味がある事だし
実際にやってみて 当てハマる事があるしね
55歳越えたら シクロクロスのマスターズで世界チャンピオン
2021年のマスターズゲームで 世界チャンピオン
遠回りしたけれど もう迷いなく 進めるわ(笑)
これからも 色々とよろしくお願いいたします。
寝付けなかった
4時に起きて グダグダして5時半出発
6時半前に アイスコーヒーのSサイズのボタンを押して 外を見たら 俊介が通って行った
グイッと飲み干して 追いかけるが どこへ行ったか・・・・・。
1本 走ってみる
10分+1分インターバルでも良いが 走ってみて考える方向で
8.4キロ 10分12秒
意外と速く 280Wで ここから落ちておく感じがして
上げていこうとする気持ちと上げていけない身体のすれ違いがあった
落ち着いて 呼吸をした
18分でやめてしまいたい気持ちになったが 後5分で終わると思った
23分06秒 269W 平凡だった
全日本までに この半島を180周するぞと掲げたが 今日で150周回だった
二ノ瀬を150回と ド平坦16キロを150周回は どちらが苦行なのだろう
目標があれば 二の瀬150回でも上るだろうし
今回は平坦だから
でも上りでも平坦で練習した居た気がする
帰宅して すぐに洗車して 持って行く荷物の再確認をして
昼飯 西京焼きが好きだが これは見た目が悪い
10時開店で プラカラーを買いに行って
クリアーレッドを塗って
クリアーオレンジで完成
カコさんの鍼へ
16時からローラー教室
18時からローラー教室
20時からローラー教室
終わって銭湯へ