あの頃は はっ!

僕はクソ野郎だと思う

4日 火曜日
起きる気がしない。
5時に目覚ましを掛けたのだが「うるせぁバカヤロー」と言って 止めた。

起きたら5日振りにあう家族がいた

エネルギーを放電した後は充電する時間も大切だと前向きに考えて朝飯にミューズリーを食べて寝た。

11時に起きて パンケーキを2枚食べて寝た。

娘の組んだ RGのサザビーを分解して 塗装する
その前に 400番のペーパーで塗装面を均す

高校生の時のツーリングの写真を探しているが見当たらない

2000年 
理不尽な先輩が 2週間で1500キロ走って来いと言われたけれど

光が外に漏れないように 雨戸でシャットアウトしておいた

この当時から 沢山写真を撮っていたりした

ローラー台にセットして 負荷は外して テレビを見ながら ひたすらクランクを回した
アベレージスピードが有り得ないぐらい速かったが(笑)

全くもって走れなかったわ
当たり前だ 走ってないから(笑)


でクビになって 松本へ行って雷太さんの元で走れせて貰った
雷太さんと走っていたら 上りが強くなって
北海道の全日本 先頭5人に残ってて 獲れると思ったが 全身が攣った。
まぁヘルメットを被っていないのは お許しください。

誰と練習すると言う事が大事だと痛感した。


美ヶ原 2位だった
3位の朝倉さんは翌年の乗鞍で優勝した
お金を貯めようと 朝4時から10時までアルバイトして 練習して 16時から22時までアルバイトする生活をしていた
お金が貯まれば気持ちに余裕が出来てきた

父親と当時の彼女がゴールで待っているからと二人にカッコいい姿を見せるんだ!と思って 
ヒルクライムレースに向けて相当準備した。
この当時はまだヒルクライマーと呼ばれていないけれど
体重を確か 60ぐらいから56か57キロに絞った
住んでいた家の裏が 美ヶ原への道路だった。

何がしたいのか? 将来も考えないまま暮らしていたかぁ。

で翌年 名古屋に逃げるように帰ってきた。

2008年 この辺りまでは順調だった
子供が生まれる前までは

2011年はマウンテンバイクをやっていた
この年は パワーメーターを外して心拍トレーニングに切り替えていたが
今 思うとワットが出ないからワット計から遠ざかっていたんだと思うが
全く走れなかった。

1時間サイクリングしにいって 夕飯

18時からローラー教室

20時からローラー教室

終わって TTバイクの準備をした

全日本選手権 タイムトライアルにエントリーした

去年 走りたくて 愛知県自転車連盟から推薦してもらったが エントリー出来なかった。

JCFのお世話になっている方に 言われた言葉が
全日本の出場資格を持っていれば めんどくさい事無くエントリー出来るのにと。

なので今年は九州チャレンジで出場資格を獲って ちゃんとエントリーした。

当初は定員24人だったが エントリー数が多かったんだろう 35人ぐらい

エントリーリストが発表されて無事エントリー出来たがここで問題が一つ

レースは木曜日 前日の水曜日には富士スピードウェイに行かないとならない
ローラー教室を2日間休まないとならないのが 痛い(笑)

収入と走りたかったレースを天秤に掛けたが 走らないと後悔すると思った

寝た

5日 水曜日
朝が来てしまったと思うって事は 疲れが抜けていない

安静心拍も55と高い

先週はTSS1000ほどだった
これを6週間やればCTL140ほど行くんだろうが そんな体力はない

TTバイクでいつもの半島へ

俊介が走っているであろうが その姿はいつもない

270Wほどで走る

心拍を見つつ上げていくが 260ぐらいで落ち着く

第一コーナーで11分15秒だったんで ここで一旦リセットする
270Wで やるぞと気を入れ替える

前から俊介が走ってきて 手を上げて挨拶

後半は264W 
今日は無風だった

23分20秒 心拍は最後は94%まで上がったが 回転数は80ぐらい

8分走をやるが ドンドンと落ちていく

でも でもと その辺をフラフラと走っている時間がもったいなくて 床屋を予約した
 
自宅方面へ

クタクタに甘いパンが食べたい

こういうモノが食べたい時は 疲れか お腹が空いているかの どちらかだろう

すぐに 床屋へ

さっぱりとスポーツ刈りっぽくしてもらった

帰宅して メカニックの仕事をして

プラモデルの塗装

設定は冬の海だったので 

こんな色でも面白いかなぁと思って 色を調合して塗った

ツーリングの記事を書くが 久しぶりなので はかどらない。


プロテインを凍らせたのを食べる

18時からローラー教室

20時からローラー教室