11月2日(火)

父親が亡くなった 

28日木曜日のローラー教室中に母と姉から 着信が続き 嫌な予感がしたのが 当たってしまった

20時からのローラー教室が 終った後の雑談が楽しいのですが 事情を説明し早めに帰っていただき 妻と施設へと向かいました

そこには 20分前に息を引き取った父親が寝ていました

手を触るとまだ温かく 僕は父親の頬に 顔を当てました

施設に入って4年半 1年ほどは毎週のように会いに来ましたが ここ数ヶ月は 仕事もあり 会えずじまいでしたが まだ喋れる時にお別れを言えたのでそれほど悲しみは少なかった気がしました

僕は4人兄姉なので 長男の太一兄ちゃんと姉たちが式の手配などしてくれたお陰で僕はほとんどやる事がありませんでしたので 講習会を受ける事が出来ました

日がらもあり 通夜は日曜の夜 告別式は月曜でした

当初は告別式場を借りる予定でしたが 父親は 家でひっそりと式をしてほしいと言っていたので 自宅で行うことになりました

お通夜で 感じた事は 父親と何をしたのか?でした

思い出すのは 鉄拳を食らった思い出ばかりでしたが

僕が当時付き合っていた 歴代の彼女たちは 父親を好きになって

僕と別れた後も 父親に会いに名古屋まで来て KAKOでお茶して 帰っていくことが多かったそうです

でも松本や埼玉に引っ越した時は 父親は会いに来てくれて スーパーへ連れて行かれ カゴを持たされて ここに好きな物を好きなだけ入れなさいと言って 僕は山盛りにした思い出があります

告別式では 住職さんがお経の読まれる時は 僕ら兄姉は 大きな声で お経を読み上げました

葬儀が終り 住職さんが 後ろから聞こえるお経が嬉しかったですし

自宅で式を行うと こういうことがあるので嬉しかったですと言ってくれました

兄姉4人はお経を読めます 小学生の頃は夏休みに近くのお寺さんへ 習いに行っていました

火葬場で お骨を見た時にはそれほど 悲しみはなかったのですが

今日 走りに行ったとき 父親の為に忙しいけれどレースがんばるかぁ!と思って多度山を上っていたけれど ふと父親の事を思い出したら 自然に涙が流れてきてしまっていました

父親はもうこの世にはいないのだと思いました

やる気で膨らんだ風船が 針を刺した しぼんだ感じになってしまい

帰宅したら 洗濯の時間で 実家へ行き お経をあげました

お墓に父親は居ない 心の中にいるのだという歌がありましたが

まさにそうだと実感してしまいました

生きている時にもっと何かをしておけばよかったと思う事もありますが

僕は 松本から帰ってきたときに 自転車をやめていた事で有り余るエネルギーを 自分の部屋の家具などをバットで破壊をしたことを謝りたかったです

回復までに時間が掛かりますが 自転車に乗っていたいと思います

補給食は 葬式饅頭でした

うれしかったことは 父親が買ってくれた ぬいぐるみを 娘に譲ったのを貸してと言ったら 一緒に燃やすのは嫌だと言ってくれた事でした

大事に 枕元に置いてくれているそうです 

それと 久しぶりに 家族のその家族たちも集まって 色々と話し合えたので楽しかったです

姉の旦那さんとも色々と話せて仲良くなれたのもです

父親が居なくなって寂しさはありますが それによって 兄弟と母親が 一致団結したのが 嬉しかったです

お米ありがとうございます

ZIPPに 32mmのタイヤを履くと サイドのエッジが真下にくる感じで しっかりと カーブできます

このホイールほんとに素晴らしい