8月4日(木)

2005年乗鞍獲ってから モテモテで暴れん棒と化していた僕は女の子と遊びまくっていたが 心の片隅では結婚したいなぁと思っていた

お父さんに 結婚とは養う事と言われて お前の給料で養えるわけがないと言われた

その時僕は 家に居た犬をとことん可愛がってみた

人に好かれる前に犬に好かれてみようと思ったからだ

毎日毎日 トレーニングから帰ってきて 長椅子に座って撫でていたら

なついて 横にちょこんといつまでも座ってくれるようになった

「なぁこまち と話しかけたり 日本語を話せないのに話しかけたりしていた」

それから彼女が出来て 結婚して 近くのマンションへ引っ越した

それから数年  コマチは死んでしまい 兄ちゃんが 火葬場へ連れて行く前に マンションまで来てくれて 対面した。

その時 動物に対して 初めて涙を流した。

冷たくなった こまちの身体を触って もっと こまちを撫でてあげればよかったなぁと 今でも思う。

なんで あの時 僕が育てると引き取らなかったのか その時は思わなかったけれど 毎日会いに行くとかして なせ時間があるのに会いに行かなかったのか・・・・。 犬から与えられえる温もり優しさは計り知れないものがあると感じている。

居なくなってから 思っても そこには こまちは居ない

コロナが多くなってきているので 妻を仕事場へ送って行った

帰りに皮膚科へ

ハゲ散らかしてきたので 擦過傷の手当をして 発毛の薬を処方してもらった

駆け抜けろ!!!の続きは 「髪生えろ!」です!(笑)

無くなってから思っても そこには髪の毛は居ない

お墓参り 

1時間 サイクリングしながら 銀行へ

母ちゃんの誕生日なので 誕生日プレゼント

父親が死んでから 家族会議をして 兄弟4人異議なしで一致したのが

「母親にはみすぼらしい生活をさせたくないから皆で母親を支えていこう」だった

今 自転車で稼げる僕が居るのは 母親が 2004年4月に「あんたから自転車取ったら何が残るの! やるからにはあんたはすぐに自分に負けるから自分にに勝ちなさい」の一言があったから。

その翌年の2005年 乗鞍を獲った

あれがなかったら 今 チャリダーに出演していない。

そのお礼に稼いだお金は 母親へ返します。

僕にとって 乗鞍は特別な上り坂なのです。

自分に勝った峠

日本一になった峠

娘は500円をプレゼント

悪いじゃん!!と言いながらも 最高の笑顔でした

あんたに産まれてから今まで一体いくら つぎ込んだと思ってるの!と娘の前で言っていました。

居なくなってからでは 恩返ししたくても もう居ないから出来ない

ぎゅうぎゅうサンド

多かったので 半分持ち帰りで

娘のナポリタン 食べきれないので 少し食べました

胃が小さくなったなぁと思いました

娘にユニクロ行って お父さんに似合うシャツ選んでくれない?と聞いたら

「めんどくさいからネットで買ったら」と言われてしまいました(笑)

乗鞍へ行く前にやっておきたい事すべてやれた これで心置きなく乗鞍さんと向かい合える

ニンニクが苦手なの。

お経をあげに実家へ

18時からローラー教室

20時からローラー教室

終ってから 乗鞍へ移動